どもども。あきと@バレンタインZERO です。

乙女ブログでの報告の通り、社内で唯一チョコをもらえませんでした。

(社内には嫁さんもいるのにw)

 

しかし!そこは営業職、パートナーの営業さん(もちろん女性)から、

義理チョコをGET!

次回のお見積りでチョコ分お値引しますね!(ウソ)

 

はてさて、気を取り直して今回は、「工数の価値」について綴ります。

営業職のお仕事としては、とかくお見積りをする機会が多いです。

その際、やっぱりこの業界は「工数」でお見積りをすることがしばしばです。

 

みなさん、「工数」はもちろん知っていますよね?

わかりやすく置き換えると、「工数=それを作るのに必要な時間(日)」です。

 

なので、Aというものを作るのに、2ヶ月かかるのであれば、

「人月単価×2ヶ月(工数)=お見積り額」

という感じになります。

 

ただ、お金を得るのですから、それに価値があることは疑いありません。

でなくては、お金を支払う方は、納得いきませんよね。

 

「人月単価」はその会社の技術力やブランドから設定されるもの。

なので、その会社自身が定めた「価値」と言えるでしょう。

しかし、「工数」には価値があるのでしょうか?

 

私が思うに、「工数」そのものに価値はありません。

なぜなら、「10日がんばった」ということ自体に、

顧客がお金を支払うなんて、考えられないでしょう。

 

費やした時間(工数)に価値があるのではなく、結果できあがる

「モノ(システムやデザイン等)」に価値があるのです。

 

しかし、我々が制作するシステムやデザインは、

パッケージのように、ありものを売るわけではなく、

ないものを作っていくビジネスモデルです。

 

ここに、この工数で見積りをする慣習の起源があるように思います。

 

制作に着手するにあたり、見積りをせず、

結果的に制作するのにかかった時間を顧客に請求するというのは

いろいろ問題がありそうです。

逆に、できたものに対して、顧客が値段をつける、というのも、

現実的ではありません。

 

そのため、今ないものには値段がつけれないので、

制作側は「おおよそ制作にかかるであろう時間」を元にお見積りをし、

顧客側は「提示金額に納得がいけば、将来的に要求した品物が手に入る」ことを

信頼して発注をする、今の慣習ができあがったんだと思います。

 

前段であがった「工数」とは、「それを作るのに必要な時間(日)」というより、

「おおよそ制作にかかるであろう時間(日)」という方が、

より明確に表しているかもしれませんね。

 

さて、少し長くなりましたが、「工数の価値」とは何かというお題でした。

 

「工数」そのものに価値はないと言いましたが、

「価値のあるもの(人月単価)×価値のないもの(工数)」だとすると、

計算した結果には価値がないもののように思えてしまいます。

 

ここからは、私の考える価値のあり方と思って聞いていただきたいのですが、

やっぱり、「工数」にも価値はあるんです。

 

「???」って、なりますね?

「アンタさっき工数には価値がないっていったじゃん!」というツッコミが

聞こえてきそうです。

 

例えば、私が他社にお見積りを取るときに、下記のような項目があったとしましょう。

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○○機能  40,000円(単価) 5人日(工数)  200,000円

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

 

私が「○○機能が5人日でできるなんて早い!」と思えば、

その工数には価値があります。

(ただし、あまりに想定よりも少ない場合は不安もあるので確かめます)

 

私が「○○機能に5人日かかると思ってた」際に、

上記の見積りが出てきたときも、その工数には価値が生まれます。

それは、工数の根拠に対して、信頼感が出てくるからです。

 

でも、「5人日はかからないんじゃないか?」とか、出てきた工数が

思ったものより多すぎたり少なすぎたりするときは、

その価値がわからなくなるので、工数の根拠を聞くようにしています。

 

工数の価値は、上記の「5人日」という数の根拠にあるんじゃないでしょうか?

 

1つ目は、スピードの価値です。

100人の制作者に同じものをヨーイドンで作らせたとして、

平均2日(16時間)かかったとします。

1日で作り上げた制作者の技術は、平均の2日で作った制作者に対して

2倍の価値があると思います。

※もちろん成果物の品質が良いことが前提となります

 

「○○機能に5人日はスゴイ!」と思った時の価値は、これにあたります。

 

2つ目は、精度の価値です。

思っていた工数と同程度の工数を提示されたときは、

工数そのものに少なからず信頼感が出てくるからです。

 

100人の制作者に同じものをヨーイドンで作らせたとして、

平均2日(16時間)かかるとします。

それを、作る前から「これを作るのにはおよそ16時間かかる」と

考えられることに、信頼が生まれるからです。

 

工数の価値は、「スピード」と「精度」。

そこにプロフェッショナルさを感じずにはいられません。

 

ではでは、この辺で。。。

 

 

後記

 

今回は「工数」についてでしたが、つまるところ、私の答えとしては、

単価も工数も、結局は信頼なのです。

 

信頼そのものに価値があって、つくる制作物について、

「このお金(見積り額)を支払えば、思うもの(成果物)が手に入る」という信頼から

発注に至るんだと思います。

 

「単価×工数」は「結果(見積り額と成果物)」に比べると

影の部分になってしまい、「よくわからない部分」となりがちです。

また、あまり重要視しない発注側の人もいるように思います。

 

結局、そういう意味では、人月単価も工数も、

発注側には意味のないもの・・・という意味では

どちらも価値はないのかもしれませんね。。。

 

「工数の慣習」に、そんな歪んだ部分が内在してしまっている不安感は

私はいつも感じて仕事をしてます。

 

結びとなりますが、制作時間に対して対価をもらう、「工数」の慣習も

致し方ないようにも思います。

でも、ゆくゆくは価値に対して対価をもらう新しい慣習が生まれることを

願っています。

 

 
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